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奥土居啓の長崎あれこれ〜Vol.8〜

2010年03月22日




今回は久々に(初めて?)真面目な話をしてみようと思います。

正直長崎弁のネタが尽きてきたので(苦笑)、

タイトルを「長崎弁講座」から「長崎あれこれ」に改めました。

 

皆さんは長崎県といえば何を連想されますか?

福山雅治、ちゃんぽん、清峰高校、カステラ、出島、ハウステンボス、雲仙普賢岳、原爆etc・・・。

色々あるかと思いますが、今回は原爆の話をさせてもらいます。

 

実は私、母と祖母が被爆者なので、被爆二世です。

長崎という土地柄もあり、小中高と平和教育をイヤというほど叩き込まれてきました。

にもかかわらず、最近になって初めて知ったことがあります。

今年の1月4日、一人の被爆者の方が亡くなられました。

山口 彊(つとむ)さん(享年93)。

恥ずかしながら私、山口さんのお話をテレビで見ながら、年甲斐も無く号泣してしまいました・・・・。

 


山口さんはただの被爆者ではありません。

出張中の広島で被爆し、大火傷を負いながら
命からがら帰ってきた長崎で再び被爆するという

凄まじい体験をされた、二重被爆者でした。

被爆者へ対する偏見の目もあり積極的に人前へ出てこなかった山口さんが

被爆体験を語り始めたのは晩年になってから、

2005年に息子さんを原爆の後遺症と思われる癌で亡くされたことがきっかけとなり、

「二度も被爆しながら生き永らえているのは自分の体験を後世へ伝えるため」と決心をされたそうです。

日本国内のみならずアメリカにおいても原爆の悲惨さを伝えるため、

90歳近くのご高齢にもかかわらず英語を勉強され、オバマ大統領宛ての手紙を書き、

ニューヨークの国連本部に赴き核廃絶を訴え、

原爆投下の正当性を教育されてきたアメリカの高校生に対して公演を開き、

自らの二重被爆の体験を英語で見事に語り終えられました。

高校生たちが涙を流しながら山口さんの話に聞き入り、

最後に「あなたの話は一生忘れません」と山口さんと抱き合っていたのが非常に印象的でした。



さらに、映画監督のジェームズ・キャメロン

原爆をテーマにした映画の制作を構想していると知り、

「ぜひ自分の体験を役立てて欲しい」と、キャメロン氏宛てに手紙を書かれます。

そして昨年12月22日、アバターのプロモーションで来日中のキャメロン氏が

胃癌で闘病中の山口さんの病室を訪れ、

「お疲れ様でした」「あとは私たちにお任せ下さい」と労いの言葉を受け、

「これで私の役目は終わった」との言葉そのままに約2週間後、永眠されました。

 

亡くなる直前まで、最後の力を振り絞って自分の命の火を燃やし続け、

自分に課せられた使命を全うされた山口さん。

その姿は、私は涙無しでは見ることが出来ませんでした。

現在、キャメロン氏の映画の構想は色々な問題が発生し、完成が危ぶまれているそうです。

ですが、その山口さんの想いに応えるためにも、映画は何が何でも完成させて欲しいと切に願います。

そして、山口さん。本当にお疲れ様でした。心からご冥福をお祈り申し上げます。

 

 


 

 

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